突然ですが あつしが27日の土曜日に亡くなりました。Iちゃんっちの子として迎えてもらったので、記事にするのは迷いましたが 脱走した時も、闘病していた時も 沢山の方に応援して頂きましたので、お知らせさせて頂きたいと思いました。
おそらく心筋梗塞であったと思います。Iちゃんっちでカリカリを食べていた時に急に倒れ、Iちゃんから電話をもらったのがお昼の12時、直ぐに病院に運んでくれ出来る限りの処置はして頂きましたが、私が病院に到着する10分程前に息を引き取りました。
あつし…いつだって急じゃない?
あつしは2012年の10月に公園に、やまちゃん音羽さんを含め5匹で捨てられました。2012年の12月に保護をし、預かりさんのお家に移動し、翌年の1月の里親会でエントリーを頂き、里親様宅へトライアルに出ましたが2月に脱走。預かりさんを始め沢山の方のご協力のお陰で4ケ月後に奇跡的に保護され、私の手元に戻ってきました。
この写真が保護されannexに来た日の あつしです。
あつしの脱走事件後、大人猫の保護 里親様探しが怖く…いや…脱走という単語を聞くだけで胃を掴まれるようになりました。それは今でも続いています。
脱走から保護した後も外への執着が強く、公園から保護したことすら間違っていたんじゃないかと、しばらくは悩み続けました。
それでもannexで過ごす時間の中で、誰と仲良くする訳ではなかったですが、落ち着き出してくれ里親会にも数回 参加しましたが…あつしはやる気ゼロ…いや、私も現実的に あつしを譲渡する勇気は全くありませんでした。
でもannexでも次々に ずっとのお家が決まり卒業していく子が増え、あつしは それを見送るばかり…どうしよう…どうしたいのかな?あつしは…と思い悩む日も少なくありませんでした。
2015年の8月に、急に食べなくなり色んな検査の結果 肝リピドーシスと診断され、闘病が始まりました。
一度、危篤状態になったのですが『あつしは絶対に死なない』と…思っていました。理由はありませんが絶対に まだ あつしは死を選ばないと思いました。
そして一犬猫病院の先生や看護師さんの献身的な治療、お世話のお陰で退院できるまで回復しました。ただ、人間のいる時間が短いannexに返すことが出来ず、Iちゃんの預かろうか?という好意に甘えお世話になることにしました。
Iちゃんの お家の猫さんにも受け入れてもらえた事と、Iちゃんのお母さんの『あっちゃん おったらエエよ』と言って頂き、あつしに ずっとのお家ができました。
Iちゃんっちの二郎くんには、最初からよくしてもらいました。気が合ったのもあるかもしれませんが、何だか訳あり風な あつしを二郎くんは見守ってくれました。
2015年の11月からIちゃんっちでお世話になりました。本当にありがとうございました。
脱走したのも、annexに来てから しばらくしてお外への執着が無くなったのも、病気になって危なかったけど生きたのも、Iちゃんっちに居たいと決めたのも…全部…全部 あつしが自分で決めたんだと思います。
何でだよ…今回は急過ぎるんじゃないの?それも自分で決めたん?
お通夜はIちゃんっちで過ごしてもらいました。
ふわり君が理解できないのか。
呼びかけ。
起こそうとしていました。
ふわり君、あつしおじちゃんに よく怒られていたのにね。気難しい おじちゃんやったね。
日曜日の里親会の前の午前中にお葬式に行ってきました。
Iちゃんからと、保護直後の預かりをしてくださり脱走した際に、ずっと諦める事なく捜索をしてくださったK様に頂いた、綺麗な沢山のお花に包まれて お空に昇りました。
正直な今の気持ちは、まだ実感はあまりなく『そうか…あつしは もう 居ないんか…』です。
あつし…あつしと出会って5年とちょっと。濃い5年間でした。悩み…悩み抜き、それでも いつも簡単に答えを出させてくれなかった あつし。
いつも何でも自分で決めて、サッサと答えを出してきたあつし。最期まで自分で決めていっちゃった あつし。
沢山の方にお世話になり、私一人では あつしを支え切れませんでした。本当にありがとうございました。
こんなに早くバイバイするとは思ってもみなかったけど、おばちゃんが行った時には本音を聞かせてください。
またね…あつし。
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おそらく心筋梗塞であったと思います。Iちゃんっちでカリカリを食べていた時に急に倒れ、Iちゃんから電話をもらったのがお昼の12時、直ぐに病院に運んでくれ出来る限りの処置はして頂きましたが、私が病院に到着する10分程前に息を引き取りました。
あつし…いつだって急じゃない?
あつしは2012年の10月に公園に、やまちゃん音羽さんを含め5匹で捨てられました。2012年の12月に保護をし、預かりさんのお家に移動し、翌年の1月の里親会でエントリーを頂き、里親様宅へトライアルに出ましたが2月に脱走。預かりさんを始め沢山の方のご協力のお陰で4ケ月後に奇跡的に保護され、私の手元に戻ってきました。
この写真が保護されannexに来た日の あつしです。
あつしの脱走事件後、大人猫の保護 里親様探しが怖く…いや…脱走という単語を聞くだけで胃を掴まれるようになりました。それは今でも続いています。
脱走から保護した後も外への執着が強く、公園から保護したことすら間違っていたんじゃないかと、しばらくは悩み続けました。
それでもannexで過ごす時間の中で、誰と仲良くする訳ではなかったですが、落ち着き出してくれ里親会にも数回 参加しましたが…あつしはやる気ゼロ…いや、私も現実的に あつしを譲渡する勇気は全くありませんでした。
でもannexでも次々に ずっとのお家が決まり卒業していく子が増え、あつしは それを見送るばかり…どうしよう…どうしたいのかな?あつしは…と思い悩む日も少なくありませんでした。
2015年の8月に、急に食べなくなり色んな検査の結果 肝リピドーシスと診断され、闘病が始まりました。
一度、危篤状態になったのですが『あつしは絶対に死なない』と…思っていました。理由はありませんが絶対に まだ あつしは死を選ばないと思いました。
そして一犬猫病院の先生や看護師さんの献身的な治療、お世話のお陰で退院できるまで回復しました。ただ、人間のいる時間が短いannexに返すことが出来ず、Iちゃんの預かろうか?という好意に甘えお世話になることにしました。
Iちゃんの お家の猫さんにも受け入れてもらえた事と、Iちゃんのお母さんの『あっちゃん おったらエエよ』と言って頂き、あつしに ずっとのお家ができました。
Iちゃんっちの二郎くんには、最初からよくしてもらいました。気が合ったのもあるかもしれませんが、何だか訳あり風な あつしを二郎くんは見守ってくれました。
2015年の11月からIちゃんっちでお世話になりました。本当にありがとうございました。
脱走したのも、annexに来てから しばらくしてお外への執着が無くなったのも、病気になって危なかったけど生きたのも、Iちゃんっちに居たいと決めたのも…全部…全部 あつしが自分で決めたんだと思います。
何でだよ…今回は急過ぎるんじゃないの?それも自分で決めたん?
お通夜はIちゃんっちで過ごしてもらいました。
ふわり君が理解できないのか。
呼びかけ。
起こそうとしていました。
ふわり君、あつしおじちゃんに よく怒られていたのにね。気難しい おじちゃんやったね。
日曜日の里親会の前の午前中にお葬式に行ってきました。
Iちゃんからと、保護直後の預かりをしてくださり脱走した際に、ずっと諦める事なく捜索をしてくださったK様に頂いた、綺麗な沢山のお花に包まれて お空に昇りました。
正直な今の気持ちは、まだ実感はあまりなく『そうか…あつしは もう 居ないんか…』です。
あつし…あつしと出会って5年とちょっと。濃い5年間でした。悩み…悩み抜き、それでも いつも簡単に答えを出させてくれなかった あつし。
いつも何でも自分で決めて、サッサと答えを出してきたあつし。最期まで自分で決めていっちゃった あつし。
沢山の方にお世話になり、私一人では あつしを支え切れませんでした。本当にありがとうございました。
こんなに早くバイバイするとは思ってもみなかったけど、おばちゃんが行った時には本音を聞かせてください。
またね…あつし。
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